エロゲが文学だとか世迷い言をほざくのは言ってるのはエロゲオタだけ。

 某マイミクがミクシィで、アバデレ(暴れん坊+あばずれ+デレ、らしい)なる概念を提唱していた。「それ何てマグダラのマリア?」てツッコミ入れたら通じなかったっぽかったので、ミクでやろうかとも思ったけどこっちの方がオタクネタは良さそうなんでこっちで書いてみる。
 暴れん坊はともかくとして(笑い)アバズレ+デレ属性というのを見て早速、オタク界隈で凄まじいブーイングと共に迎えられた(らしい。エロゲやらん)同級生2とか言うゲームのヒロインが非処女だというので肉便器呼ばわりされているらしいとか。何とか。詳しい設定は良く知らないのだが、ヒロインはあっちゃこっちゃのおとこと寝捲ってるって言う設定らしい。その状態に至るバックグラウンドが一応あるらしいのだけど、其れは本題と関係ないのでおいとく。
 で、この設定を聞いてふと思いだしたのがマグダラのマリアだったのだった。


 マグダラのマリアは名前の通り聖書に出てくる、つか、ほぼ主要人物の一人なんだけども、イエスの愛弟子っぽい感じのキャラで、聖書では他のどの十二使徒よりも、つか、ユダと同じくらい(笑)イエスに心酔しているっぽいキャラクターとして描かれてる。マリアって言うくらいだから女性なんで、イエス使徒ではない。超有名人物なので憶えておこう。
 で、彼女、聖書の記述はちょろっとしかなくて、香油で足を洗って涙を流した娼婦だったとか、色々言われてるのだけども本当の所はよく解ってなくて、ちゃんと出てきたと断言されてるのはイエス磔刑に立ち会ってるのと復活したイエスの最初の目撃者だった(!)って事くらい。本当はイエスの妻だったんじゃないか何て説もあるんだけど(私はそうだと信じてるのだが)、今回はこの件にも触れない。唯、そうだったとしても聖書のイメージでは、娼婦と同一視されるような扱いを意図的に受けた、そういう人物って事。

4061848151イエスに邂った女たち
遠藤 周作
講談社 1990-12

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 遠藤周作は「イエスに邂った女たち」でマグダラのマリアを、愛に満たされない人、空っぽの心を満たす代償として男と寝る女だと書いていたけど、エロゲにおけるビッチなヒロインを掬い上げるのは、其れこそその全存在を肯定する、包み込むような愛情なんじゃないかと思うと、本田透が非処女萌えーだのオリだけがヒロインを救えるのだとか書いてたけど、そんなの自己中ヲタの脳内でしか実現できねーだろとか突っ込んでしまうワタクシ。まあいいか奴は二次元だけで良いんだもんな。

 男を求めて彷徨うビッチヒロインと、あくまでも受け身な肉便器(代表:O嬢。小生O嬢の良さ、面白さがワカリマセン。序でに言うとこの言葉本当に嫌いだけど、奴隷は嫌いだからどうでもいい。ここで敢えて言うのは超萎え属性って事だけ)の間には、超えがたい壁があると思う。ビッチたんは欠落した物を補う為に足掻いていて、多分単純に、理屈抜きの存在肯定を求めてる。単純に、セックスが好きなんじゃない。
 だから、イエスにころっと参っちゃったんだな。


 さて、実際問題としてヲタは愛に飢えるビッチヒロインのクリストスになれるのか? リアルに考えれば凄まじい重荷なのだが、二次元の中だけで満たされる万能感としてはたまらん属性だと思うのだが、生憎本田透が一人でプッシュしたところでなかなかブレイクはしないだろーな。いわゆる淫乱っ子とも違うし。
 こーゆー属性が好きそうなのは、寧ろ男性より女性だと思う。